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坂本城(群馬県安中市)

もう訪れたのは二年前になってしまったが、安中市(旧松井田町)の坂本城を紹介する。

碓氷湖の南の山にあり、車でも公共交通機関でも比較的訪れやすい城だ。
ただし、このあたりはサルやイノシシがよく出没する。

車だと碓氷湖の駐車場、公共交通機関だと「峠の湯」まで。

坂本城地形図
上記地形図に作図してみた。
赤いルートが碓氷湖から急斜面の尾根を直登。
緑のルートは東電巡視路で祠のある峠まで登山道が付いている。


碓氷ダム標識
碓氷湖はダム湖で、坂本ダムによる人口湖。
ここの駐車場に車を止めるといい。

碓氷ダムから坂本城の山を見る
坂本ダムから見た坂本城の北斜面。
登る尾根は赤い矢印だ。

碓氷ダム橋手前登り口(坂本城)
この赤い橋の手前が登り口。
この尾根をがんばって登ると、二重堀切が見えてくる。

坂本城二重堀切
急登を登り切って尾根に出ると二重堀切が見える。

坂本城本丸
本丸は意外と広い。

坂本城大堀切
本丸と二の丸を分ける大堀切。
群馬の城郭研究の権威、故山崎一氏はこの堀切を以て、「一城別郭」と言っている。

登山口のある林道(坂本城)
東電巡視路の登山口がある林道。
矢印の先が登山口。

巡視路登山口(坂本城)
ここから東電巡視路が峠まで付いている。


余談だが、坂本城のある山は「城峰山」と呼ばれているようだ。



訪城日:平成28年(2016)12月25日
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群馬県城館マップを作ってみた

群馬県内の城館を集めて、Googleマイマップでマッピングしてみた。

まだ完成とは程遠いが、ある程度まとまってきたので公開してみようと思う。

何か気になることありましたら、気軽にコメントしてください。
Twitterでも質問承ります。 https://twitter.com/yamashiro90



◎凡例

紫色・・・城館全般

赤色・・・関所や番所

緑色・・・古代政庁や一時的な陣場

黄色・・・ロックハート城





本栖の石塁

平成30年5月20日

Twitterのフォロワーさんたちと、以前から気になっていた本栖城に行ってきた。

場所は山梨県富士河口湖町。

本栖湖と精進湖の間の山域で、いわゆる青木ヶ原樹海にある。


この記事では、本栖城(城山)は取り上げず、樹海の中に点在する石塁を取り上げる。

本栖の防塁
国土地理院の地理院地図で作図した図を載せておく。
地形図中、「城山=標高1056m」が本栖城だ。

緑線は、東海自然歩道
青線は、中世~近世、近代までの街道である「中道往還」

赤アイコンが石塁の場所を示す。

このうち共通する特徴のある石塁は次の三つだ。
下手な図だが、思い出しながらペイントで作図してみた。


②の石塁
本栖石塁2
②は明らかに石塁が桝形状をしていて、虎口も見受けられる。
桝形内側の石塁は、階段状になっている。

本栖石塁2の階段状石塁
②の階段状の石塁

本栖石塁2の桝形虎口
②の石塁(桝形)の虎口


④の石塁
本栖石塁4
④は本栖城の城山を背にして、Ł字に折れている。
ここも内側の石塁が階段状になっている。

本栖石塁4の段状石塁
④の階段状の石塁


⑥の石塁
本栖石塁6
⑥は他の石塁とは城山を挟んで反対側(北側)にあり、「信玄築石」という固有の名称をもつ。
中道往還に沿うように石塁が桝形状に囲んでいる。
石塁の規模としてはここが一番大きいかもしれない。
ここも精進湖側の石塁が階段状になっている。

信玄築石段上側
⑥の階段状の石塁

信玄築石
⑥ 階段状の石塁の反対側


この三つの石塁に共通することは、階段状の石塁が付属していることだ。
ここで階段状の石塁のある方角に注目してみると、本栖城(城山)には目もくれず、北側が階段状になっているようだ。

北側に何があるかというと、精進湖であり、さらに甲府方面ということがいえないだろうか・・・。
ちょっと図式化してみた。
本栖石塁図式


『甲斐の山城と館』で宮坂氏は、この階段状の共通点に言及しており、

「内側に段があれば守り手の足場になる」「小屋がけの場であったり、堡塁の可能性」

と述べている。

北側の勢力が、南側から侵攻する勢力に対応するため街道封鎖の石塁のように感じた。
それが武田なのか、徳川なのか、北条なのかはわからない。

②や⑥は中道往還沿いだからわかるが、④については往還から離れていてしかも背後は城山の急斜面だ。
やっぱり要検討かな。

他の石塁も飛び飛びにあるので、・・・よくわからん。
せっかくだから残りの①、③、⑤の作図を載せておく。

本栖石塁135

本栖石塁3
③の石塁は二か所を各々囲っている。
防塁というよりか何かを区画しているかのよう。

本栖石塁5 1
⑤の石塁。

本栖石塁5 2
⑤は前述で引用した宮坂氏の言葉を借りると、「壁が薄く、砦として頼りない」。
まさにこのとおりだ。
ただ谷地形をまたいでおり、天水溜めのための砂防ダムととらえるのはどうだろうか・・・。

本栖石塁5 3
それにしても⑤の石塁は薄い。
よく今まで崩壊せずに残ってくれていたなあと、ちょっぴり感動。



―――

中道往還は駿河と甲府を結ぶ主要幹線だったので、少なからず本栖城やこの石塁群が甲斐国の前線で重要拠点だったことは推測できるかも。

こういう気づきがあったので、ブログで報告した次第だ。

神立城 (新潟県湯沢町)

平成30年5月5日

神立城は、上越新幹線と上越線が乗り入れる越後湯沢駅のすぐ南の秋葉山にある。

秋葉山は登山道が整っているので、城への到達も容易だ。

神立城地形図
国土地理院の地理院地図で作図したものを載せておく。
アイコンのあるところが神立城の本丸(実城)だ。

駅から近いので、地図上の赤い色のルートを通れば、車でなくても簡単に行ける。

今回は南の国道17号沿いの登山口から秋葉山山頂を通って訪れた。
(地図上、ピンク色のルート)

どちらも登山口に「秋葉山」の案内があるので、わかりやすい。

湯沢秋葉山登山口
国道17号沿いの登山口。
この近くに路肩の広いところがあるので、そこに駐車した。

湯沢秋葉山登山道の鳥居
登山道中の鳥居。

登山道は気持ちのいい尾根道。マイナーな山にしてはかなり明瞭な道だ。


湯沢秋葉山から苗場山を見る
秋葉山の山頂手前で振り返ると、苗場山が望めた!
白い苗場山の手前は、たぶん荒戸城と芝原峠だと思う・・・

湯沢秋葉山の山頂
そして登頂。三角点は、三等三角点。
登山口から20分くらいで着いた。

おそらくこの山頂も神立城の一部だろうか、かなり広く、脇に腰郭のような平場も見られる。

ここから北尾根に下りていく。

湯沢秋葉山山頂北の堀切
山頂から北の尾根を下りていくと、このようなやや浅い堀切があらわれた。
写真奥が山頂で、赤い線のところが堀底だ。

ここからさらに北に尾根を進む。

神立城本丸南の堀切
すると、このようなはっきりとした堀切が出てくる。
写真だと緑が濃く、わかりづらいが、現地ではかなり明瞭である。

この堀切から北が城の中心部なようである。
そこで次の図を参考にしてもらいたい。

神立城実城縄張図
『湯沢町史』所収の縄張図を参考に、城の中心部のみ鳥観図を描いてみた。

前の堀切は図の右にある堀切だ。
堀切を越えれば、本丸の上段に辿り着く。

神立城本丸上段の土塁の切れ目
本丸から本丸上段の土塁の西の切れ目を見たところ。
虎口だろうか?

神立城本丸南の土塁
本丸と本丸上段の間の土塁。真ん中に切れ目がある。

神立城本丸
本丸は結構広い。奥に先ほどの土塁が見える。

神立城本丸北の仕切り土塁
本丸北の土塁。藪で分かりづらいので、作図した。
この北側が桝形状になっており、仕切り土塁というべきか。


神立城北虎口を内側より
桝形虎口を内側から見る。

神立城北虎口を外側より
桝形虎口を外側から見る。

神立城北虎口を外側より(作図
動線を描いてみた。

神立城仕切り土塁を桝形から
虎口を入るとこのように曲がって、本丸に向かう。

桝形の動画をTwitterのほうにあげたので、ここにリンクをはっておく。
https://twitter.com/yamashiro90/status/992865820236656640





城の大手道は、桝形虎口を抜けた先で、はじめに示した地形図の赤いルートと思われる。

桝形の北東尾根にも堀切があるらしいが、こちらは藪がひどく、急傾斜だったので今回は踏査しなかった。


神立城本丸から北の展望
本丸からの北西の展望。
正面に越後湯沢駅が見える。この城の真下を上越新幹線が走っていることになる。

神立城本丸から東の展望
本丸からの東の展望。
奥の白い山は巻機山だろうか?右のとんがりは大源太山か?


感想
登ってみて疑問に思ったのは、城の背後、秋葉山の西尾根ががら空きだということ。さらに北に桝形があることから城の向きとしては北からの来襲を意識しているように思えた。ただし構造は単純なので、他サイトで述べられている荒戸と樺沢の伝えの城ということに賛同したい。
いざとなったら捨てられる城といってもいいかもしれない・・・

堀之内城(小諸市)の丸馬出し

平成30年3月31日

この日は、Twitterのフォロワーさんと佐久市の式部城と日向城、虚空蔵山狼煙台を巡ったあと、

小諸市の堀之内城と楽巌寺城、富士見城を訪れた。

今回はそのうち、堀之内城について取り上げる。


まず場所について、地理院地図で作図したので、それを参考にしてもらいたい。

堀之内城楽巌寺城地形図

堀之内城は、上の地形図で確認できる通り、御牧原の台地から細尾根で頭一つ突き出た台地上にある。

背後は千曲川の段丘崖になっている。

東に不通沢という渓谷は介して、布引観音や楽巌寺城が目の前に存在する。

この城の特徴はなんといっても、城のある台地から御牧原台地に出る唯一の細尾根の先に

二重三日月堀を有する丸馬出しがあることだろう。

しかも丸馬出しの先の台地上は、下っており、射撃するにはちょうどいいのではと感じた。


丸馬出し部分は拡大する。

堀之内城丸馬出し縄張り
現地での私のメモ書きを清書したものだ。
矢印は緩やかな傾斜を表している。

現在細尾根には車道が通っており、馬出の東側は破壊されているが、

馬出の西に虎口の遺構は見られないので、車道の通っている東側に虎口があったのだろう。


丸馬出しは内側の郭(図上「1」)と外側の郭(図上「2」)に分かれている。

各々三日月堀を有している。

特に外側の三日月堀は規模が大きく、一部に水をたたえている。
堀之内三日月堀外側1


堀之内三日月堀外側2
「2」の土塁上から三日月堀を見る。

堀之内三日月堀外側3
外側の三日月堀の堀底。
画面左が「2」の郭。


堀之内三日月堀内側1
内側の三日月堀。
堀の向こう側は、「1」の郭。神社が鎮座する。

堀之内三日月堀内側2

堀之内三日月堀内側3
内側の三日月堀の堀底。
画面左が「1」の郭。


堀之内城細尾根
丸馬出しを城内の方向に過ぎていくと、細尾根となる。
御牧原台地からの城の入口はここだけであり、細尾根を封鎖するように丸馬出しがある。

堀之内城細尾根堀切遺構
細尾根の途中には堀切(のような)遺構がある。

堀之内城台地
細尾根を過ぎると、広い台地が現れるが、ここが堀之内城の城内となる・・・
かなり広い台地で、多くの兵は収容できそうだ。


武田家家臣の駒井政武の『高白斎記』には、「布下に鍬立」とあるらしく、この城が比定されている。
プロフィール

山城守

Author:山城守
専門は平安時代後期(院政期)。趣味として好きな時代は地元上州の戦国時代。
ご先祖は赤見山城守という戦国時代に上州・信州で活動していた武将です。

※ブログ内の画像や文章の無断転載はお控えください。但し引用する場合はURLをご使用ください。ご使用の場合はコメントまたはtwitterでお知らせください。

Twitter @yamashiro90

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