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碓氷峠城(碓氷峠の陣城)について考える

平成30年12月22日、約一年ぶりに、性懲りもなく、碓氷峠城に行ってきた。

前回までの記録はここに置いておく。
H29/05/16の記録

H29/11/19の記録

H29/12/27の記録


今回は、ウワサの畝状空堀群(連続竪堀)がどこにあるのか、

どの方向にあるのか、事前情報を得たので、

それを元に、探しに行ってきた。


usuitougejobunki.jpg
旧中山道の長坂道と林道の分岐。
林道の吹き出しに、中世東山道の名残?と書いたが、
これについては、後述する。

ともかくここを、長坂道へ進む。

usuitougejotatebori.jpg
長坂道から見える、城の西にある竪堀。
写真中、左の土塁向こうが北桝形虎口。

usuitougejokitamasugata.jpg
で、北桝形虎口。
今回は、ここをスルーして、
ひたすらに長坂道を下る。

kyunakasendo nagasakamichi
長坂道を下ってきて、振り返った写真。

nagasakamichi bunki
前の写真の左側。
尾根が終わったところ、
そこを巻いて、反対側へ進む。

iwaone wo maku tosando
ちょっと道が狭いが、
なぜか歩けるくらいの幅はある。

下斜面は崩落しているので、注意!

tosando no ueno iwa
上の斜面を見ると、岩稜となっている。
※この岩尾根を、尾根沿いに登っていくと、碓氷峠城に出る。

それで、反対側の下斜面を見ると・・・

usuitouge gorenzokutatebori
あった!
連続竪堀がくっきりと。
5連続くらいだろうか。

gorenzokutatebori.jpg
一つ一つがかなり大きい。

tyusei tosando
連続竪堀の上には、
広めの平場がある。
古道だろうか?

tyusei tousando
そのまま進むと、
右斜面には、竪堀と櫓台と思しきものが見える。

ここでこんな妄想をしてみた。

東山道妄想
このように、門があったのではないか・・・?

ここを道なりに進むと、また二つの道に分かれる。
左に、林道に合流する道。
右に、土盛りのある藪道。

yaguradai ura no michisuji
これが、土盛りのある道筋。・・・藪!!!
ちょうど、先ほどの櫓台の裏になる。

ここを進むと、次の図の赤い矢印に辿り着く。

ブログ用碓氷峠城
これは、自分の縄張図に、作図したもの。
で、図面にあるように、
長坂道を下りてから、進んだ道筋は、
古道遺構なのではないかと思った。

そう考えると、
中世の東山道なのではないかと。

※「中山道」は江戸~京都を結ぶ近世の街道だから、それと区別するかたちで、「東山道」とする。

つまり連続竪堀や櫓台、櫓台横の竪堀は、
中世東山道を封鎖する目的で作られているのでないだろうか。

今までのことを、地形図にまとめてみた。
地理院地図で作図した。

usuitougejo irobetsu hyoko
※色別標高図。
青線が旧中山道(長坂道)。
黄緑線が、近代以降の林道。
そして、赤線が、中世の東山道と思われる古道遺構。

この記事の最初の写真で、
林道のところに、「中世東山道の名残?」と書いたのは、
赤線が、途中まで林道と並行して、果ては合流しているため。

掘割道が、櫓台の近くから、
私の縄張図にもある通り、南桝形付近まで、
続いている。

usuitougejo chikeizu
色別標高図を抜いたものも置いておく。


いつの頃の遺構かはわからないのだが、
中世東山道を封鎖する連続竪堀周辺の遺構を踏まえると、
上野国側から攻めてくる敵方に対して、
築城されているような気がしてくる。

信濃国が味方、上野国が敵方、

こういう構図が見えた。


連続竪堀周辺を突破して、南桝形虎口に攻めてくる敵方を、
北桝形から出撃して、
6の帯郭を通って、敵の背後を突く、
あれ?
これ真田っぽくね?と妄想してしまった。

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直路城(清水城) 新潟県南魚沼市

この城には今年の春にチャレンジしたことがあったが、その時(4月下旬)は登り途中から雪渓に阻まれて登れず撤退した。
おそらくアイゼンさえ持参していれば登れたのだろうが、無理して登って怪我でもしたらそれこそ大変なので登らなくて良かったと思っている。

そんなわけで先日、新潟側が晴れているということで、今期最後のチャンスと思い、リベンジしてきた。


直路城は新潟県南魚沼市にある城で、国道291号の新潟側通行止め地点の真上の山にある。

直路城地形図
国土地理院の地図を加工編集したものを使わせていただきました。
「P」地点が車を止めた場所。国道の通行止め地点で、路肩に邪魔にならないように寄せて駐車しました。
地図上、赤線は堀切や竪堀を示しています(ただし正確な位置ではありません)。
緑線は稜線に出るまでの巡視路です。


国道291通行止め地点
国道291号の通行止め地点。おそらく未来永劫通行止めだと思う。
ここから左の林道へ歩いて行く。

直路城登城口
しばらく歩いて行くと、右に鉄塔巡視路を示す白い標柱が現れる。
ここが登山口。赤テープもあるので、迷うことはないと思う。

直路城畝竪
稜線に出るまでは九十九折の登山道を進む。落ち葉と泥で滑りやすくなっている。
九十九折に進むと上を見ても下を見てもうねうねしているのがわかり、自分が畝状竪堀の中にいることに気づかされる。
鉄塔巡視路の登山道は畝状竪堀を無視して九十九折に作られているようだ。

直路城大竪堀
大きな竪堀。
上記地図上で、稜線の堀切から長く伸びている竪堀がこれだ。
今年の春のときに撤退したのはこのあたり。かなり大きな雪渓があった。

直路城(城の越)
稜線に上がってきてまず目の前に「城の越」と書かれた白い標柱が目に入った。
「越」や「乗越(のっこし)」は峠を表す語だから、古街道が城を通過していたということだろうか。
・・・中世の清水街道?

直路城③の郭
城の越には鉄塔がある。
北側奥には、魚沼盆地が見える。

直路城城の越から①の郭を眺める
城の越から南の稜線は①の郭に続く。①の郭は鉄塔のある場所。

直路城一つ目の堀切
稜線上には五つの堀切がある。
どの堀切も深く鋭く、アップダウンが地味に大変。

直路城南側の展望
城の越から南の展望。
清水峠方面なのだが、見えているのか、奥の山が朝日岳なのか、同定できない。
わかる人教えてください。

直路城①の郭手前
堀切を三つ越えて①の郭の手前。
写真で撮ってもわからないくらいなので載せないが、②の郭の前後に桝形状の窪地があった。

直路城①の郭土塁
①の郭にも鉄塔ある。南側にはちょっと大きめの土塁がある。

直路城から見た巻機連山
稜線からは巻機山(割引岳と前巻機山)がよく望めた。

直路城主郭背後の稜線
①の郭土塁後ろに続く稜線。この稜線は柄沢山、朝日岳、清水峠と続いている。
土塁後ろに深く鋭く藪深い堀切がある。

直路城南端の堀切
手元の二つの縄張図によれば一番南の堀切。

あとは来た道を戻った。

この城は上杉景勝にとって、三国峠口の荒戸城と並ぶ清水峠口の抑えの城だったという。
御館の乱のときに、両峠口の抑えとして両城を普請するように命じている。(『上越市史』)


参考サイト:「古城址狂が行く!越後の古城巡り」

訪城日:平成30年(2018)11月18日

坂本城(群馬県安中市)

もう訪れたのは二年前になってしまったが、安中市(旧松井田町)の坂本城を紹介する。

碓氷湖の南の山にあり、車でも公共交通機関でも比較的訪れやすい城だ。
ただし、このあたりはサルやイノシシがよく出没する。

車だと碓氷湖の駐車場、公共交通機関だと「峠の湯」まで。

坂本城地形図
上記地形図に作図してみた。
赤いルートが碓氷湖から急斜面の尾根を直登。
緑のルートは東電巡視路で祠のある峠まで登山道が付いている。


碓氷ダム標識
碓氷湖はダム湖で、坂本ダムによる人口湖。
ここの駐車場に車を止めるといい。

碓氷ダムから坂本城の山を見る
坂本ダムから見た坂本城の北斜面。
登る尾根は赤い矢印だ。

碓氷ダム橋手前登り口(坂本城)
この赤い橋の手前が登り口。
この尾根をがんばって登ると、二重堀切が見えてくる。

坂本城二重堀切
急登を登り切って尾根に出ると二重堀切が見える。

坂本城本丸
本丸は意外と広い。

坂本城大堀切
本丸と二の丸を分ける大堀切。
群馬の城郭研究の権威、故山崎一氏はこの堀切を以て、「一城別郭」と言っている。

登山口のある林道(坂本城)
東電巡視路の登山口がある林道。
矢印の先が登山口。

巡視路登山口(坂本城)
ここから東電巡視路が峠まで付いている。


余談だが、坂本城のある山は「城峰山」と呼ばれているようだ。



訪城日:平成28年(2016)12月25日

群馬県城館マップを作ってみた

群馬県内の城館を集めて、Googleマイマップでマッピングしてみた。

まだ完成とは程遠いが、ある程度まとまってきたので公開してみようと思う。

何か気になることありましたら、気軽にコメントしてください。
Twitterでも質問承ります。 https://twitter.com/yamashiro90



◎凡例

紫色・・・城館全般

赤色・・・関所や番所

緑色・・・古代政庁や一時的な陣場

黄色・・・ロックハート城





本栖の石塁

平成30年5月20日

Twitterのフォロワーさんたちと、以前から気になっていた本栖城に行ってきた。

場所は山梨県富士河口湖町。

本栖湖と精進湖の間の山域で、いわゆる青木ヶ原樹海にある。


この記事では、本栖城(城山)は取り上げず、樹海の中に点在する石塁を取り上げる。

本栖の防塁
国土地理院の地理院地図で作図した図を載せておく。
地形図中、「城山=標高1056m」が本栖城だ。

緑線は、東海自然歩道
青線は、中世~近世、近代までの街道である「中道往還」

赤アイコンが石塁の場所を示す。

このうち共通する特徴のある石塁は次の三つだ。
下手な図だが、思い出しながらペイントで作図してみた。


②の石塁
本栖石塁2
②は明らかに石塁が桝形状をしていて、虎口も見受けられる。
桝形内側の石塁は、階段状になっている。

本栖石塁2の階段状石塁
②の階段状の石塁

本栖石塁2の桝形虎口
②の石塁(桝形)の虎口


④の石塁
本栖石塁4
④は本栖城の城山を背にして、Ł字に折れている。
ここも内側の石塁が階段状になっている。

本栖石塁4の段状石塁
④の階段状の石塁


⑥の石塁
本栖石塁6
⑥は他の石塁とは城山を挟んで反対側(北側)にあり、「信玄築石」という固有の名称をもつ。
中道往還に沿うように石塁が桝形状に囲んでいる。
石塁の規模としてはここが一番大きいかもしれない。
ここも精進湖側の石塁が階段状になっている。

信玄築石段上側
⑥の階段状の石塁

信玄築石
⑥ 階段状の石塁の反対側


この三つの石塁に共通することは、階段状の石塁が付属していることだ。
ここで階段状の石塁のある方角に注目してみると、本栖城(城山)には目もくれず、北側が階段状になっているようだ。

北側に何があるかというと、精進湖であり、さらに甲府方面ということがいえないだろうか・・・。
ちょっと図式化してみた。
本栖石塁図式


『甲斐の山城と館』で宮坂氏は、この階段状の共通点に言及しており、

「内側に段があれば守り手の足場になる」「小屋がけの場であったり、堡塁の可能性」

と述べている。

北側の勢力が、南側から侵攻する勢力に対応するため街道封鎖の石塁のように感じた。
それが武田なのか、徳川なのか、北条なのかはわからない。

②や⑥は中道往還沿いだからわかるが、④については往還から離れていてしかも背後は城山の急斜面だ。
やっぱり要検討かな。

他の石塁も飛び飛びにあるので、・・・よくわからん。
せっかくだから残りの①、③、⑤の作図を載せておく。

本栖石塁135

本栖石塁3
③の石塁は二か所を各々囲っている。
防塁というよりか何かを区画しているかのよう。

本栖石塁5 1
⑤の石塁。

本栖石塁5 2
⑤は前述で引用した宮坂氏の言葉を借りると、「壁が薄く、砦として頼りない」。
まさにこのとおりだ。
ただ谷地形をまたいでおり、天水溜めのための砂防ダムととらえるのはどうだろうか・・・。

本栖石塁5 3
それにしても⑤の石塁は薄い。
よく今まで崩壊せずに残ってくれていたなあと、ちょっぴり感動。



―――

中道往還は駿河と甲府を結ぶ主要幹線だったので、少なからず本栖城やこの石塁群が甲斐国の前線で重要拠点だったことは推測できるかも。

こういう気づきがあったので、ブログで報告した次第だ。
プロフィール

右衛門尉源朝臣

Author:右衛門尉源朝臣
専門は平安時代後期(院政期)。趣味として好きな時代は地元上州の戦国時代。


※ブログ内の画像や文章の無断転載はお控えください。但し引用する場合はURLをご使用ください。ご使用の場合はコメントまたはtwitterまで、よろしくお願いします。

Twitter @yamashiro90

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